2005年06月29日

人間と卵の白身

運のつき 死からはじめる逆向き人生論
「中国なら人を表すのに「人」という漢字ひとつで十分です。日本に入ると、それが「人間」になっちゃうんですからね。「人間」という表現は中国では世間のことです。「間」は人じゃない。それは世界の常識でしょうが。なのに、人をあえて「人間」にしちゃう。それが日本の世間です。人と世間とが同じ言葉になっている。」P192
「私の人生の主題は、じつは世間と自分との折り合いじゃなかったかと思います。」P209

他人よりももっともっとを追求するアメリカのストレスは脳血栓に、自分がちゃんとやらないと他人様に迷惑がかかる日本のストレスは胃潰瘍にくるそうです。

至極共感。
よくぞ言い当ててくれましたと感心したのです。僕の人生も世の中のいろんなことと折り合いをつけていると最近実感した。

で、これが少し前に読んだ別の本と自分の中で繋がった。
場の思想
「自分流に生きる」西洋型を、殻のままの卵が多数あって、その一個一個が単独に主張している状態とし、「世間で生きる」日本型を、多数の卵を割って、黄身という一個一個が白身という世間に包まれている状態に例える。この卵モデルを提唱するのが、清水博さん。

日本の世間にも「群れの場」と「出会いの場」があって、「自分で生きていない」と、外国人に批判されるのは、前者であって、歴史上の革命的変化は、「出会いの場」による共創がもたらしたのだそうだ。

「この精神の高揚をともなった熱気の中で創造的エネルギーが生まれる・・・群れあおうとする精神からは、この高揚は決して生まれてこない。」p136

集団発想ワークショップを提供してみたいと思うようになった今日この頃。

「どのような状況にあっても信頼されるものは純粋な慈悲心から出た行為である。大きな慈悲心の前には、文句なしに頭が下がる。有り難いと心から思うものを疑うことはできない。・・・慈悲とは自己の生命の活きを他者に与えることである。」p212

内観法にも興味深々な今日この頃
ontherightcircle at 22:34│Comments(2)TrackBack(0)Books 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by まのっち   2005年10月10日 22:37
お久しぶりです。
なんだか不思議な感じ。半年前には「自分として生きる」って、考えたこともなかった。臨床心理士に「典型的なタイプAだよ。気をつけなよ。」と言われてたのに。。。
お互い「自分で生きる場」を提供していきたいね。心からの慈悲に従って。
2. Posted by Einar   2005年10月10日 22:40
こんにちは
いつも書き込みどうもです。
そうですね。
焦らずに深めて、プロになります。
ってのが今の気持ちです。
ITB楽しんでね。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔